被災地、灯油不足が深刻 安定供給なお時間(日経Web版)の写し [東日本大震災]
やはり、首都圏が安定しないと、いけないのだろうか?優先順位は、岩手、宮城等の被災地ではないのか?
2011/3/21 21:27の掲載です。
首都圏でのガソリン不足は解消に向かいそうだ。すでに都内の給油所への燃料供給は増え、スタンドで待つ車の列も大幅に減った。しかし、東北地方の被災地では暖房用の灯油などの不足がなお深刻で、石油会社などは供給の強化を急いでいる。
東京都江戸川区の環状7号沿いの大型ガソリンスタンドでは21日、給油待ちの車列はほとんどなくなった。桜井則男副店長(32)は「先週末から日を追うごとに行列が減っている」と話す。21日夜からは24時間営業に戻す予定だ。閉店していた近隣の給油所も徐々に営業を再開している。
首都圏で相次いで大型製油所が稼働を再開。元売り各社は西日本から石油製品5万キロリットルを首都圏に海上輸送しており、「関東では需給改善が進む」(JXエネルギー)との見方が多い。
一方、東北地方の被災地では燃料不足は依然として深刻だ。福島県いわき市にある大手燃料販売店の社長(65)は「市からガソリン約6キロリットルを20日に入荷したが、3時間で売り切れた」と言う。同県には現在も需要の半分以下しか燃料が行き渡っていない。冷え込みが厳しくなっており、社長は「ガソリンだけではなく灯油が必要だ」と訴える。
「給油所に燃料を運ぶタンクローリー車も足りない」(石油元売り)。岩手県花巻市の大手ガソリン販売店によると、石油元売り会社が燃料を配送できないケースもある。この販売店は、自前でローリー車を探して秋田県の油槽所からガソリンなどを入荷した。被災地の石油調達は混乱が続いており、安定供給にはなお時間がかかりそうだ。
早く被災者の方々にとって、動き易い、活動し易い環境を作ってあげてほしい。
民間石油備蓄の放出、計25日分に拡大 政府決定(日経Web版)の写し [東日本大震災]
2011/3/21 19:02に掲載されました。
経済産業省は21日、東日本大震災の発生に伴う石油製品の供給不安に対応するため、石油元売りなどの民間企業に義務づける法定備蓄の取り崩しを拡大すると発表した。現行の67日分から45日分に引き下げる。14日に続く2回目の引き下げで、累計では25日分を市場に放出することになる。
民間企業の本来の法定備蓄は70日分。経産省は14日に3日分の引き下げを実施していた。22日分の追加引き下げに踏み切ることで、さらに約924万キロリットルの石油製品を市場に放出する。
法定備蓄は災害や事故の発生などで国内の供給量が不足したり、不足する恐れが生じたりしたときに取り崩す。経産省は「石油事業者の安定的な生産に必要な操業在庫はおおむね45日程度」とみており、今回は法定備蓄をぎりぎりまで減らす計算になる。
政府は石油製品の確保や流通の回復に全力を挙げている。東北地方の通常の需要量に相当する日量3万8千キロリットルの供給余力をすでに確保した。東北地方に送るタンクローリーも300台増やす計画で、これまでに198台が現地入りしている。
19~21日には関東圏にも5万6千キロリットルの石油製品を転送した。民間の法定備蓄も大幅に減らすことで、被災地以外に広がる混乱を早期に解消し、生産の回復を後押しする方針だ。
まあ、少し時間がかかった感はありますが、徐々に普通の生活に戻す努力がなされ始めたという記事だと思います。もっと、東北の各地に、燃料が届けばいいなと願っております。
ガソリン供給、徐々に回復へ 首都圏の製油所が再稼働(日経Web版写し) [東日本大震災]
支援物資の一つであるガソリン等の燃料について、日経Web版のコピーです。
2011/3/21 19:06の掲載記事です。
石油製品の生産・流通設備が復旧しつつある。石油元売り最大手のJX日鉱日石エネルギーは21日、主力の根岸製油所(横浜市)が再稼働したと発表した。同日には出光興産の塩釜油槽所(宮城県塩釜市)に石油タンカーが震災後、初めて入港。被災地に十分な量が行き渡るにはなお時間がかかるが、首都圏のガソリン不足は地域によっては週内にも解消しそうだ。
JXエネルギーの根岸製油所は21日午前から主要装置が稼働、徐々に稼働率を高める。地震発生時に自動停止していたが装置自体には損傷はなかった。
同社最大の精製能力を持つ水島製油所(岡山県倉敷市)では同日、3基ある常圧蒸留装置で合計日量2万バレルの能力増強を実施。精製能力を同40万バレルまで引き上げ、東日本向けの供給体制を強化した。
米エクソンモービル傘下の極東石油工業の千葉製油所(千葉県市原市)も21日にガソリン生産を再開し、フル操業に入った。首都圏の製油所の相次ぐ操業再開で、石油製品の需給逼迫は徐々に解消される見通しだ。
コスモ石油も21日、主力の千葉製油所(千葉県市原市)で地震直後から続いていた火災が10日ぶりに鎮火したと発表した。週内にも設備の安全を確認し、早期に在庫の出荷を再開したい考え。「足りない製品は西日本の自社の製油所から船で供給を受ける」(同社)方針だ。
被災地の太平洋沿岸にも震災後、初めて石油タンカーが入港した。石油連盟は21日、合計2010キロリットル分のガソリンや灯油を積んだ石油タンカーが同日午前、塩釜港に入港したと発表した。石油元売り各社は中継地点として出光興産の塩釜油槽所を共同で活用。タンクローリーに積み替えて被災各地に出荷する。
東北地方の被災地では救援物資の輸送などで燃料不足が大きな課題となっている。石油元売り各社は震災後、仙台港付近の拠点から燃料在庫を供給するなどしてきたが、塩釜港の部分復旧で太平洋側の海上からの調達ができる。
エクソンモービルグループの塩釜油槽所でも20日から出荷を再開し、21日から製品受け入れが可能となった。JXエネルギーも21日、仙台製油所(仙台市)で在庫の出荷を一部再開した。ただ、生産の復旧にはめどがついていない。
地道に一歩一歩ではありますが、復旧に向けた動きが目に見えるようになってきてると思います。勿論、燃料だけでなく、他の支援物資についても具体的な記事ができるだけ早く掲載されることを祈っております。
スーパームーン [風景]
長い避難生活、乗り切る知恵は 過去の被災経験もとに (日経Web版の写し) [東日本大震災]
日経Web版に本日16日の10:16に掲載されていた記事です。
長い避難生活、乗り切る知恵は 過去の被災経験もとに
新聞紙や段ボール活用
長期化が予想される避難所生活から被災者の健康をどう守るのか。適切な水分の摂取や体の保温、ストレス解消など必要なことは多岐にわたる。高齢者や乳幼児らへの特段の配慮も必要だ。寒さに見舞われている東日本巨大地震の被災地でも、阪神大震災などかつての大地震と同じように避難所生活のノウハウがいかせるのでは、かつての被災者らは指摘している。
寒い避難所生活では、体温管理が大きなポイントだ。神戸市消防局東灘消防署は、被災者の知恵を紹介。ポリ袋に丸めた新聞紙を詰めて簡単な掛け布団にすると、空気の層が熱の拡散を防ぎ、暖かい。「新聞紙をおなかや足に巻き付け、ラップやゴミ袋で固定するのも効果的」
水やガスコンロなどがそろっていれば、ぬるめのお湯をペットボトルに入れて湯たんぽ代わりにしたり、毛布や布団の下に段ボールを敷いたりすることも暖を取ることにつながるという。
救援物資の食料は炭水化物やたんぱく質が多く、野菜などが不足気味となる。神戸市内で被災した男性は、たき火の後に残った炭の上に網などを敷き、配給された弁当の中身をアルミホイルに包んで温めた。「冷えた弁当もおいしく食べられる」
「飲み水には向かない汚れた水でも、鍋などで沸かせば、ビニール袋で密閉した食べ物を温められる。たき火の火を直接、使うより安全だった」とも振り返る。
レシピ投稿・検索サイト「クックパッド」は被災地でも作れるレシピを募集し、紹介している。15日夜現在、水を使わない料理や缶詰を活用したメニューなどが約200件公開されている。
母親から受け継いだ「水を一滴も使わない肉じゃが」を紹介した投稿者は「野菜の水分だけで十分。煮ている最中にふたを開けないことがポイント」と書き込んでいる。
特定非営利活動法人日本トイレ研究所(東京)は、断水でトイレの水が使えず、穴を掘って代用する場合「なるべく深く掘り、すぐにいっぱいにならないよう気をつけたい」と話す。
新潟県中越沖地震で介護を必要とする住民が使う福祉避難所の設置を県から請け負った新潟県老人福祉施設協議会の冨田幸二さん(38)は「避難所でのプライバシーの確保には段ボールを利用した間仕切りが有効。着替えなどで周囲の目を気にするストレスの軽減になる」と指摘。卓球台を間仕切りに使うアイデアなどもある。
被災地で高齢者らの支援を続けるNPO法人「阪神淡路大震災よろず相談室」(神戸市東灘区)の牧秀一理事長(61)は「被災した高齢者は時間の経過に伴い、家族や自宅などを失った喪失感に襲われ、食事がのどを通らなくなったり、ふさぎ込んでしまったりする恐れがある」と心配する。
対策として「悲しみや悩みを抱え込まず、だれかに話すことが大切」と強調。「被災者同士で話すと境遇を比べてしまう。できればボランティアなど第三者がある程度の期間にわたって寄り添うことが望ましい」と話す。
避難生活で健康を守る知恵・工夫
食事
・ バナナや栄養補助食品など食べやすいものを
・ 救援の弁当などを食べ過ぎず、普段と変わらない量とする。
水
・ トイレの排水や洗濯には、川などの水を汲んで使う。
・ できればこまめに水分を取り脱水症状を防ぐ。
トイレ
・ 便秘などを防ぐためこまめに体を動かす
・ 遠慮して排泄を我慢しない
・ 新聞紙で作った箱に用をたしそのまま捨てる
暖をとる
・ できれば炊き出しなどによる温かい食事を取る
・ 新聞紙を丸めて服の中に入れたり、段ボールを敷いたりして寝る
健康
・ エコノミークラス症候群を防ぐため手足をこまめに動かす
・ 傷口の消毒はぬれティッシュで代用
安心・安全
・ 警察官と住民らで自主パトロールする
・ 段ボールなどがあれば間仕切りを作り個別スペースを設ける
こころ
・ 悩みを一人で抱え込まない
・ 避難所で顔なじみだけでなく、話せる相手を見つける
作成:日本経済新聞社
参考資料:神戸市消防局HP、NPO法人資料
神戸で実際の経験に基づいた知恵・工夫だそうです。
今回のケースでこれらの工夫が役立つかどうか
支援活動 [東日本大震災]
地震による影響は計り知れないものがある。
15日のニュースで、地震5日目でやっと道路に車が走れるようになり、釜石まで支援物資が届いたとのこと。
今回の地震の「被害甚大」を改めて、思い知らされた。
食糧、紙おむつ、飲料水、薬、毛布、燃料、暖房器具、衣服、下着、入浴施設・・・・
16日の朝のニュースでも、被災者の言葉が、時間とともに、ニーズも少しずつ変化してきているように聞こえた。
また、今回の地震は、非常に地震による被害エリアが非常に広いことによって、避難所が分散し、また、燃料等による移動手段もない、地域特性によるアクセスの不便さなどから、避難の孤立化が解消しない現状がある。行方不明者の確認もまだまだ時間がかかりそうである。
現地に入っている自衛隊、救助隊、マスコミの人たちがいる。
マスコミは、くまなく、現地をレポートし、生の声を、生の映像を拾ってほしい。そして、生のニーズを引出し、それらの情報を集約し、国や救助隊と連携して、被災者に、効率的な手当ができる方法・仕組みは、できないだろうか?
一つになれないか?
現地は、雪が降り、まだまだ、春が遠い。被災者の健康を、心から祈念する。
ライフラインの復旧 [東日本大震災]
昨日のニュースで大船渡の一部ではあるが、夜、電気がついている風景が映し出された。
意外に早いなって思いましたが、見えない裏では、不眠不休の活動の中で、支えてくれている電力会社の人々がたくさんいるということ。おそらく水道もそうであろう・・・・。近いうちに必ず・・・。
また、自発的に、地元の道路の整備のため、バックフォーで道路のがれきを脇にのぞく作業をしている人。
自分の身内の行方不明者もいるのに、患者を第一に考え、支えている病院職員。
みんなしっかり前を向いて、頑張っている。
また、アメリカの今回の作戦名は、『Operation Tomodachi』だそうです。
さて、地震発生からトラブル続きの福島原子力発電所。
おそらく現地の作業員の方々は、寝不足からくる疲れ、生命との恐怖と闘いながらの作業が続いているのだろう。何事も想定内であれば、クリアできるが、想定外のことが起きることのほうが多いのではないか?
避難されている方々は、さらなる移動(10kmから20km、そして30km)を余儀なくされ、心身ともに大変だと思うが、トラブルを消沈されるために努力している方々も、活動していることであろう。
心より応援するとともに、無事の作業を祈念してます。「頑張れ」
自分も今できること、しなければならないことをしっかりやらねば!!
津波 [東日本大震災]
NHKのニュースで、釜石市浜町の津波の状況が映し出された。
大きなゆっくりとした波のうねりが、ゆっくりゆっくり近づいてくる。
そして、海水が防波堤から漏れ、陸地に入ってきた。
だんだんとその勢いが強くなる。
そのうち、おおきなうねりの波が防波堤を超え、これでもかという量で、襲ってくる。
家は、砂埃を立てたとたんに、動き始め、建物の間は、海から流されてきたがれきや船が流れる有様。
初めて見た気がする。この天災を。かつて、日本で見たことのないスケール。
あっという間に、およそ10分強で、浜町を埋め尽くし、その波は、釜石市市街地を、呑み込んでいった。
13日の朝の映像では、車や消防車が、市街地の道路に折り重なって、積み重なっており、そのすさまじさに、言葉も出なかった。
地震 M7.9 ⇒ M8.4 ⇒ M8.8 ⇒ M9.0 [東日本大震災]
2011年3月11日 14:46分
横揺れを感じ始めた。地震だ。最初は、わずかな揺れと思い、そのうち止まるとおもいきや、だんだん激しくなり、同僚の仲間が、全員いるかどうか、確認した。
と同時に、揺れは、もっと激しくなり、積み重ねていた書類が崩れる。
机の中に入って、揺れが治まるのを待つ人もいる。
なかなか治まらない。
時間にしてどうだろう?2分?テレビをつける。震源地は、宮城沖の地震とわかる。
しばらくして、窓から外を見ると、人が溢れている。テレビで津波の警戒の情報が流れ始める。
地震発生時は、このような状況。
帰宅するのに、電車もまったく動いてなく、タクシーもつかまらない。
というか、車が、渋滞でまったく動いていない。で、アイフォン片手に、自宅までのマップを検索。
2時間15分ということでしたので、また、会社から自宅まで、限りなく直線に近いルートを示したことで、会社の前から歩き始める。
幹線道路は、結構、人も多いが、一歩、裏道に入ると、人影もまばら。また、裏道から幹線道路の交差点は、車が動かず、渋滞している状況。
意外とさっささっさと歩きました。2時間20分!
次の日、聞いたところ、大手町から4時間かけて帰ってきた人もいたようです。
東京が大災害であるならば、おそらく歩く人は、この日の1000倍ぐらいで、歩道が大渋滞になるのかも。