震災ボランティア 20代が汗を流す3つの理由(日経web)の写し [東日本大震災]
編集委員 石鍋仁美 2011/6/13 7:00
ニュースソース 日本経済新聞 電子版
東日本大震災の被災地で、多くの若者がボランティア活動に汗を流している。時間に余裕のある学生。仕事を休んで参加する社会人。なぜ若い人々が「人助け」に魅力を感じるのか。彼らが育った環境、手本とする人物像の転換、情報環境の変化という3つの要因が指摘できる。
東京に本拠を置く、ある特定非営利活動法人(NPO法人)が、ホームページで被災地でのボランティア活動を写真付きで詳しく報告している。本来は途上国での教育支援を目的とする団体だが、震災を受け被災地にキャンプを張り、広くボランティア希望者を受け入れ、活動場所を提供している。
■大震災前からの現象
5月の連休中は毎日200人、今でも100人前後が日々、活動に参加している。建設機器を使える人が、倒れた塀などを解体している。女性が水路の泥やヘドロをスコップでかき出している。飲食店勤務の経験者が居酒屋の再開を手伝う。
泥だらけになっての田植え。仮設住宅への引っ越し。そんな生き生きした若者たちが頼もしく、まぶしい。「自分の今までの経験を生かせる。今、動く時だと感じた」。沖縄県から参加したレジャー・宿泊施設で働く若者の言葉だ。
これは大震災という大きな事件ゆえの特別な現象ではない。
1995年の阪神大震災でも若者たちが被災地に駆けつけ、ボランティア元年といわれた。その後もさまざまな社会貢献活動への熱意は冷めないばかりか、内閣府の調査では2007年ごろを境に4割台から6割台へと上昇している。街なかでゴミ拾いをするサークルを各地の学生や若手社会人が作るなど、日常の中での活動も活発だ。
■未来への危機感が背景に
社会貢献意識の表れは無償で働くボランティア活動だけではない。
社会問題を解決を掲げた企業を旗揚げし、社会貢献と利益の両方を追求する「社会起業家」も、欧米の後を追い日本でも増え始めた。こちらも若者に希望者が多い。
こうした「新・社会派」とも呼べる若者はなぜ増えたのか。学生IT起業家から転身した社会起業家の代表格で、病気の子供を働く親に代わって一時的に預かるNPO法人フローレンスを立ち上げた駒崎弘樹氏(1979年生まれ)は言う。
「社会というテーブルがしっかりしているのなら、その上で(経済活動などの)ゲームに熱中するのもいい。少子高齢化などで、今やテーブルの脚がぐらついている。これを何とかしなければならない」
自らリスクを取り、泥をかぶって実践し、新しい仕組みやサービスを作る。「政治家や官僚を批判し、留飲を下げるだけでは、社会は変わらないと(これまでの世代を見て)分かっている」。普通の起業や経営よりずっとやりがいがある、と語る。
いまの20代は高度経済成長もバブル景気も実感としては知らない。黙っていれば自分たちの生きる未来の日本社会が危うい。何もかも政治に頼らず、自分たちで助け合う仕組みや社会を作らなければならない。そんな危機感を共有している。
■「いい子」「素直」がかっこいい
そんな危機感は、内側の物差しも変化させているようだ。
NTTアドの発行する社会・消費研究誌「空気読本」副編集長で、若者の生態に詳しい小林勝司氏は「今の20代と、30代から50代が20代だったころとは、同じ『20代』でもかっこ良さの基準が全く違う」と指摘する。
同社の調査によれば、今の中高年は20代のころ「反骨精神にあふれ」「上昇志向があり」「不良っぽい」と言われることを願っていた(実際に不良だった、ということではない)。しかし現役20代は「親しみがある」「つきあいやすい」「いい子」「素直」と言われたがっている、との結果が出たそうだ。
好感が持てる有名人は元20代が松田聖子や長嶋茂雄。今の20代はベッキーや水嶋ヒロだ。誰に何を言われようと自分のスタイルを貫き、突出した存在を目指す存在から、礼儀正しく控えめで周囲の全員に愛される存在へ。「こうした価値観の変化が、エコや地元への貢献など社会活動への参加意欲につながっている」とみる。
■「2つのソーシャル」が加速
メディアと社会の変化に詳しい西田亮介・中小企業基盤整備機構リサーチャーは「中央公論」2011年5月号に寄稿した論文で、震災ボランティアの広がりを加速させたキーワードは「2つのソーシャル」だと指摘する。1つはこれまで指摘した社会貢献(ソーシャルコントリビューション)志向であり、もう1つがソーシャルメディアだ。
若者など一般個人による情報の獲得、共有、発信が「新たな縁」を作り、広げた。年長者が主導し、役所や既存団体が中心となるたて割り型の情報交換や組織づくりとはスピードと柔軟さが違う。冒頭で紹介したNPO法人のインターネットによる呼びかけと実績の発信はその一例だ。写真に写る若者たちの生き生きとした顔や体験談は、新たな参加者の心を動かし、安心感を誘う。型にはまった公的な告知文にはない力だ。
ボランティア、エシカル消費、社会起業家。こうした新しい流れや力を、既存の経営者や役人など年長者の側が取り入れ、助け、生かすか。それとも「自分たちの若かったころに比べ、理解できない存在」と退けるか。ボールは若者から年長者の側に投げ返されている。今回の被災地でも「ふだんから社会的弱者向けのNPO活動がきちんとしていた自治体ほど、都会からのボランティアをスムーズに受け入れられた」。辻元清美・首相補佐官(災害ボランティア担当)はそう語る。
数センチの地殻変動も測定 東北大などGPSで海底監視(日経web)の写し [東日本大震災]
震災の仕組みを解明
2011/5/23 8:30の記事です。
海上保安庁や東北大学など官学の機関が巨大地震を引き起こす地殻変動をとらえるため、海底観測の精度向上に力を入れている。全地球測位システム(GPS)や高性能水圧計の技術を応用すれば、数センチメートルの微小変動も測定可能で、東日本大震災では海底が大きく変化したことを突き止めた。観測点を増やせば、地震発生のメカニズム解明だけでなく、近い将来高い確率で起きるとされる東海、東南海地震の予測にも役立つかもしれないと期待される。
■基地局の設置偏る
海上保安庁、東北大、名古屋大学のグループはGPSを応用して2000年ごろから本格的な観測を始めた。GPSで位置を特定した船から海底基地局へ音波を発信、跳ね返ってくるまでの時間から距離を割り出す。船を動かしながら測定を繰り返す。海底の観測精度は当初の1メートル程度から数センチに「飛躍的に高まった」(海上保安庁海洋情報部の佐藤まりこ主任研究官)。
東日本大震災の引き金となった海側の太平洋プレートのもぐりこみで、陸側の北米プレートは西に年間約8センチ動いたことが分かっていた。震災後、北米プレート上の深さ約3200メートルの海底が東に約30メートルずれていた。また、宮城県沖の南北約70キロメートルにわたる海底が20メートル以上移動していた。計算機によるシミュレーションの結果と一致した。
海底基地局は東北沖から東海、東南海地震の想定震源域の紀伊半島沖まで計30カ所に設置済み。ただ東北沖では約100キロに1基しかなく余震などを調べるうえでもデータ量は不十分だという。
一方、海洋研究開発機構のグループは高性能水圧計を使い紀伊半島沖、北海道十勝沖などの観測を強化している。地震計と組み合わせて地震波や津波による水圧変動をとらえ、光ケーブルでデータを気象庁にリアルタイムで送る。震源によってはすでに緊急地震速報にも活用されている。
■地震予測に期待
10年12月に起きた父島沖のマグニチュード(M)7.4の地震では、わずか1センチの津波も検知できた。東日本大震災でも長さ450キロに及ぶ津波の波源域を突き止めた。10年度から紀伊半島沖から四国沖までに観測域を拡大する計画が始まっており、東海、東南海地震の仕組みの把握を目指している。
海底は陸上に比べて変動を起こす地殻に近いため、わずかな動きや前兆をとらえやすいとされる。ただ機器設置に手間とコストがかかり、観測網の強化が遅れている。
東日本大震災から2カ月、モノ作り苦闘続く(5/11日経朝刊一面)の写し [東日本大震災]
ライフライン復旧、徐々に
東日本大震災の発生から11日で2カ月がたつ。死者・行方不明者は東北地方を中心に2万5000人弱に上り、日本経済全体が大きな打撃を受けた。電気や水道などライフラインの復旧が徐々に進みつつあるが、寸断された産業のサプライチェーン(供給網)回復は道半ばだ。
航空機エンジン部品を手掛けるIHIの相馬工場(福島県)では数日後の全面稼働を目指して、ラインの整備が急ピッチで進む。IHIは米ゼネラル・エレクトリック(GE)など向けに部品を供給する。米ボーイングなど世界の航空機生産への影響を避けようと、懸命の努力が続く。
トヨタ自動車など各社にゴム部品を供給する藤倉ゴム工業。福島第1原子力発電所近くに工場があり、生産再開のめどが立たない。同社はデンソーが福島県に持つ建屋を一定期間借り受け、5月下旬にも操業を始める。
トヨタの現在の国内工場の稼働率は5割程度。4月22日に「生産正常化は11月以降」と発表したが、部品・素材各社の稼働再開で2~3カ月前倒しできる見通しだ。
ただ部品や素材の生産水準はまだ低い。エチレンでは被災した三菱化学のプラントの稼働が5月20日前後となる。電子部品など一部の製品には今後の在庫切れ不安も残る。サプライチェーンの全面復旧にはまだ時間がかかりそうだ。
震災後最大で450万戸前後が同時に停電した東北電力管内では、停電戸数が約6000戸(6日時点、津波で流失した建物などを除く)に減少。それも大半が5月末までに復旧する見通しだ。岩手、宮城、福島3県での断水戸数も発生直後の1割以下に減った。
1995年に起きた阪神大震災では、電気は6日、水道は1カ月半、都市ガスもほぼ3カ月で復旧した。東日本大震災では被災地域が広く、復旧は難しい。さらに火力発電所の被災や原子力発電所の停止で夏の電力供給に不安が残る。
警察庁の10日午後4時現在のまとめによると、死者・行方不明者は2万4829人。避難所で生活する人は18都道県で約11万7000人に上る。
身元が特定できていない遺体も多い。同庁によると、同日午前10時現在、岩手、宮城、福島の3県警で取り扱った計1万4873人の遺体のうち、依然として2000人以上の身元が分かっていない。1カ月間で死者は約1800人増えたが、行方不明者は約4500人減った。発生直後に届け出があったが、連絡が取れた人が多かった。
高層ビル「長周期地震動」に弱く 共振で揺れ増幅(日経Web)の写し [東日本大震災]
4メートル幅で10分揺れる恐れも
2011/5/7 20:01の記事です。
3月11日午後2時46分ごろ、耐震構造を研究している工学院大学の久田嘉章教授は新宿校舎(東京・新宿)の25階で緊急地震速報を聞いた。がたがたと細かい揺れの後、船に乗っているようなゆっくりとした大きな揺れを感じた。「長周期地震動」だった。その後の調査で、29階の屋上部は37センチメートル動き、揺れは10分以上続いたことがわかった。新宿校舎では、天井板が落下し、固定していなかった本棚が倒れ、コピー機が動いた。エレベーターのケーブルが引っかかって使用不能になった。
東日本大震災は超高層ビルを大きく揺らした。都心では、消火用のスプリンクラーが壊れて水が漏れたり、エレベーターに閉じ込められたりする被害が相次いだ。東京タワーの先端が曲がった。
東京湾岸の石油コンビナートでは油が入った施設が揺れ、摩擦熱で火災が起きたという。震源から遠く離れた大阪府の咲洲庁舎(大阪市、55階建て)でも被害が出た。
久田教授が新宿の高層ビルを調べた。構造への大きな損傷は今のところ見つかっていない。新宿を代表する超高層ビルのひとつ新宿センタービル(54階建て)は上層階で1メートルを超える横揺れが続いたが、大きな被害は出なかった。久田教授は「地震の規模の割に揺れが小さかったことが幸いした」と分析する。
被害をもたらした長周期地震動は、2秒以上の周期でゆっくりと揺れる。2003年の十勝沖地震(マグニチュード8.0)では、震源から約250キロメートル離れた北海道苫小牧市の石油コンビナートで火災が発生。長周期地震動への関心が高まった。
建造物には揺れやすい「固有周期」があり、超高層ビルや石油タンクなどは周期が長い。地震の波が固有周期と一致すると、共振して揺れが大きくなる。東日本大震災では、阪神大震災のような直下型地震に比べて2~20秒の揺れが大きかった。周期が長くなるほど、波が遠くに伝わりやすい。京都大学の入倉孝次郎名誉教授は「広い地域で、様々な高さの建物が揺れた」と分析する。
長周期地震動はマグニチュードが大きくなるほど発生しやすい。東京、名古屋、大阪の大都市圏はみな厚い堆積層の上にある。長周期の波が伝わると、堆積層内で行ったり来たりして揺れが大きくなり、持続時間も長くなる。
入倉名誉教授は「高層ビル群が年々増え、対策に迫られている」と指摘する。関係者の間で最も心配されているのが、近い将来起きるとされる東海、東南海、南海地震の3つの巨大地震が連動した場合だ。工学院大の久田教授は「高層部分の揺れの幅は東日本大震災の2倍を超え、揺れが続く時間もずっと長い」とみる。
日本建築学会によると、大きい場合は関東平野と大阪平野、濃尾平野の揺れは設計時より2倍近く増えるという。中には、4メートル幅で10分くらい揺れるビルもあると予想している。
倒壊の恐れはほとんどないものの、梁(はり)と柱のつなぎ目が破断するなどの被害が出る可能性がある。被災直後の応急危険度判定は点検箇所が膨大で技術者も不足しており、時間がかかる。安全が確認できるまで使用禁止になる可能性が高い。構造部分が損傷して傾いたビルは取り壊すしかない。
既存のビルは制振装置を取り付けると被害をほぼ防げる。建築学会は、古いビルを耐震診断し、大規模修繕のときに制振装置を導入すると、工期や費用を節約できると勧めている。
久田教授は「家具の転倒や天井板の落下を防止するのは簡単にできる」と強調する。超高層ビルで重傷者が出ると、最悪の場合は階段を使うことになり、地上まで運ぶのが大変だ。エレベーターのケーブルが揺れてひっかかることを防ぐ対策も急ぐべきと訴える。
長周期地震動の影響を受けやすい高さ70~100メートル以上のビルは全国に約1100棟ある。東海、東南海、南海地震が起きる確率は30年以内に60~87%と推定されている。できることから対策を講じれば、最悪の事態は避けられるはずだ。
中越地震の時に、私は、霞が関ビル33階で、大学同窓会に出席していた。会が始まる前の17:57にまず、大きな横揺れとそれに伴う船酔い状態がしばらく続き、18:30、18:33にも同様の揺れと酔いが回った。お酒を飲むのも控えたいぐらいの酔いであった。高層ビルの怖さを思い知った瞬間でもあった。
さて、余談ではあるが、今回の地震時に、熊本市内の水位計が本震及び余震で、数十センチメートル上昇していることが、わかった。これは、偶然とは思えず、地盤の伝播による影響が、離れたところでも発生するということである。誠に今回の地震の大きさを物語る事実である。
1次補正予算が成立 復旧予算4兆153億円(日経Web)の写し [東日本大震災]
がれき処理や仮設住宅建設に
2011/5/2 15:34の記事です。
東日本大震災からの復旧のための2011年度第1次補正予算案が2日午後の参院本会議で採決され、全会一致で可決、成立した。総額4兆153億円に上る予算はがれき処理や仮設住宅建設、道路や港湾補修などに充てる。与野党は早期復旧で足並みをそろえ、大型連休中としては異例の審議をした。
1次補正は、道路や上下水道などインフラ復旧に1兆2千億円を計上し、仮設住宅10万戸の整備やがれきの撤去などにも8千億円超を充てる。学校や医療施設の再建費用なども盛った。
財源は財政規律を守る観点から国債を増発しない。基礎年金の国庫負担割合を維持する財源(約2兆5千億円)を転用するほか、子ども手当の上積み断念や政府開発援助(ODA)の削減でも捻出する。高速道路料金の「休日上限1000円」を6月中に中止し、「無料化実験」もやめる。
政府は1次補正の成立後、大震災からの本格的な復興対策を盛り込む今年度第2次補正予算案の検討作業に入る。
汚染水・がれき…放射性物質どう封印 福島原発(日経Web)の写し [東日本大震災]
2011/5/2の記事です。
東日本大震災で甚大な被害を受けた東京電力福島第1原子力発電所からは、大量の放射性物質が大気へ放出された。事故発生当初に比べると現在、その量は大幅に減っているとみられるが、被曝(ひばく)への不安はなお大きい。放出量が再び増える懸念も残っており、正確な情報の開示が不可欠だ。
事故発生から約1カ月半たった現在の放出量は、発生当初と比べると格段に少ない。原子力安全委は4月25日、福島第1原発からの4月中旬の放出量は毎時100億ベクレル程度との見解を示した。
少なくなったとはいえ、福島第1原発からは今も放射性ヨウ素やセシウムが出続けている。放出ルートはいくつかある。
大量放出の懸念が完全になくなったわけでもない。格納容器内で水素爆発を起こし、容器が大きく破損する可能性も残っているからだ。
放射性物質の大気への流出阻止は、東電が4月17日に示した事故収束までの工程表の柱の一つ。原子炉建屋をカバーで覆い放射性物質の拡散を抑える応急処置を7月中旬までに着手するとの内容も盛り込んだ。
ただ、カバーを設けるには原子炉建屋での長時間の作業が欠かせない。東電は「放射線量が大幅に下がることが前提条件」と話す。原子炉建屋内の放射線量は米国製の無人ロボットにより4月17、18日の調査で1~3号機で毎時4~57ミリシーベルト、26日には1号機で同1120ミリシーベルトが計測された。
原子力安全委は「正直、ぎょっとする数値」と厳しい状況との認識を示す。建屋の壁や床に付着した放射性物質を除染しようにも、人が中に入れない。エネルギー総合工学研究所の内藤正則・安全解析グループ部長は「放射線を出す能力が時間とともに衰えていくのを待つしかない」と話す。
東電は建屋周辺のがれきなどに付着した放射性物質が粉じんとして周囲に飛散しないよう対策を進めている。4月1日からは、地面の表面を覆う樹脂剤の試験散布を始めた。保安院は「放射線量を少し抑えることができた」と話す。東電は26日から原子炉建屋周辺への本格散布を開始した。
東電や協力会社の作業員の中には、被曝(ひばく)量が健康に影響が出始めるとされる100ミリシーベルトを超えた作業員が約30人いる。中には約240ミリシーベルトに達する作業員も出てきた。
新たな放射性物質を出さない対策の成否は、工程表の実現を大きく左右する。
「つぶやき」1日で1.8倍に、被災地の肉声 瞬時に発信(日経)の写し [東日本大震災]
2011/4/26 7:00の記事です。
3月11日に発生した東日本大震災は、インターネットが本格的に普及した先進国が初めて体験する大規模自然災害といえる。特にここ数年普及が加速しているミニブログ「ツイッター」やSNS(交流サイト)、動画配信などのサービスでは、震災に関する膨大な情報が行き交い、既存のマスメディアがカバーしきれない被災者の生の声を伝える役割を果たした。これら新しいメディアの動きを追うことで、個人がネットをどう利用したのかを検証する。
「東日本大震災はこれまでの災害史上、最も記録される震災になるだろう」――。米CBSのプロデューサーの経歴を持つソニーのハワード・ストリンガー会長は、日本の震災について問われてこう答えた。
現在は個人が情報を発信するのに都合のよい道具がそろっている。なかでもツイッターは、不特定多数の人々に素早く情報を広めるのに非常に効率的な機能を持つ。震災後は個人や政府、自治体、企業がこぞって公式アカウントを作成し、情報を発信し始めた。
震災当日、ツイッターに投稿されたツイート(つぶやき)は、平均的な1日(約1800件)の1.8倍にあたる約3300万件と爆発的な数字を記録した。これはNECビッグローブが分析したデータで、それ以降も2000万件超と高い水準で推移している。
3月11日から1週間ほどのツイートの内容をみると、全体の約7割を震災関連が占めている。地震・津波による被害状況や安否情報、原発関連の話題が、被災者やその関係者などから投稿された。「平時」であれば、アニメやスポーツなどエンターテインメント系の話題が約6割を占めるが、過去に例を見ない震災だけに、飛び交う情報もより切迫したものになったようだ。
サッカーのチャリティーマッチが行われた3月29日には、娯楽系の話題が震災後初めて6割を超えた。「スポーツやアニメなど話題の番組がテレビで放送されると、ツイッター上の緊張感も和らぐようだ」(ビッグローブ)と分析している。
野村総合研究所は、特殊なツイートの傾向について解析・公開している。被災地である岩手、宮城、福島の3県から発信されたとみられる「つぶやき」を抽出。食事や衣類、燃料など物資の支援要請の動向をリポートにしている。
解析を始めた3月27日から4月21日の間に3県から発信された関連ツイートは合計3618件。宮城が1529件、福島が1353件、岩手が736件だった。
もっとも多いのが飲食物に関しての要請。野村総研の調べだと計610件あった。「1日の配給はおにぎり1個とコッペパン1つ」(宮城県石巻市)など、実際のツイートも紹介している。解析初日に3県合計で40件と一番多かったガソリンは徐々に減り、4月に入ってからは日に1ケタで推移している。
そのほかにも「目薬と花粉のアレルギー薬をお願いします」(岩手県大船渡市)「2週間たって下着を1度だけ替え、サンダルで過ごしている」(宮城県女川町)といった多くの声がツイッター上で発せられていたという。
SNSも阪神・淡路大震災が起きた95年時点では存在しなかったネット上のサービスだ。SNSの場合、自分の友達や趣味を共有するグループなど、特定のメンバーと深い議論ができるメリットがある。電子掲示板と異なり、見せたくない相手に自分の書き込みを見られる恐れも少ない。
ミクシィのミニブログサービス「mixiボイス」も、ツイッター同様、震災後にアクセスが急増した。一時、震災直前の8倍まで投稿数が増え、その後も通常時の2倍程度で推移している。
もうひとつ、16年前にはなかったのがネット動画配信だ。
NHKや民放のニュース番組を同時放送していたユーストリームは震災前に比べて視聴者数が約5倍になった。瞬間的に最も視聴者が多かったのは3月15日の午後1時ころで、20万人からのアクセスがあった。
ドワンゴ子会社が運営する「ニコニコ動画」も、ニュース番組を同時放送していた3月11日から25日まで、番組の視聴者数が通常時に比べて10%増加した。非常時とはいえ、はからずも長年の懸案だった「通信と放送の融合」が実現したわけだ。
ただ、ネット上を流れる情報のすべてが信頼できるものとは限らない。過去の震災に比べてデマや流言がネットを介して素早く広がったのも事実だ。特にツイッター上で個人が発信する情報をうのみにして、そのまま自分の友達に再送信する「リツイート」機能は、有益な情報だけでなくデマのたぐいを拡散させる役割も果たしてしまった。
自分が得た情報を遅滞なく誰に、どう届けるのか。そして内容の正確さをどう担保するのか――。一般の人々にとってネットが強力な情報発信のツールとなった今、かつてマスメディアに問われていた命題が、個人に向けられている。
(「ネットのチカラ」取材班)
私も震災後、直ちにTwitterを始めた一人です。情報の正確性を検討したうえで、誰に流すか?
確かにこれをいつも頭においています。将来、コロコロ変更しそうな数字や施策については、このブログ同様、掲載しべきでないと。また、被災者が不安になる情報も同様。
買占めもそうですが、個人の資質の向上が求められていると思います。
ディズニー再開、「夢の王国」の意地と不安(日経Web)の写し [東日本大震災]
2011/4/25 7:00の記事です。
1カ月ぶりに響いた歓声が東京ディズニーランド(TDL、千葉県浦安市)への期待と不安を象徴していた。東日本大震災による休園から、サービス水準を落とさないままでの再開。国内随一のレジャー施設の意地を見せた。だが初日となった4月15日の入園者数は予想に反して伸び悩み、見慣れた行列も控えめだった。先行きには原発事故や景気減速といった外部要因に加え、夏場の節電対策や入園料引き上げの影響など、幾多の難題が待ち構える。TDLの試練は続く。
■ミッキーと輪の中心に
「一緒に写真撮って下さい」。晴天に恵まれた4月15日午前8時半過ぎ、開園した東京ディズニーランドの広場では、入園者の人だかりができていた。シャッターに収まったのはミッキーマウスだけではない。輪の中心には運営会社オリエンタルランド会長の加賀見俊夫(75)もいた。35日ぶりの再開を満喫する入園者と一緒に、ほほ笑みながら撮影に応じていた。
1995年に社長に就任し、現在もトップに君臨する加賀見は、東京ディズニーランドの顔と言っていい。2001年オープンの東京ディズニーシー(TDS)の立ち上げにも奔走した。58年に京成電鉄に入社。経理部門などを経て、60年のオリエンタルランド設立時から同社の仕事も兼務するようになった。ここで「人生の師」と仰ぐ高橋政知(故人)と出会う。
高橋はオリエンタルランドの二代目の社長で、米ウォルト・ディズニー・プロダクション社(当時)との誘致交渉をまとめたTDLの「生みの親」とされる。TDL開発に伴う浦安市沖の漁業補償交渉では一升瓶を片手に漁師と渡り合った。豪快な性格の一方で、TDLの開業では品質に一切の妥協を許さない細心さを持ち合わせていた。
だが、そこに節電問題が立ちはだかった。TDLとTDSの電力使用量は1日平均で約57万キロワット時と、ハウステンボス(長崎県佐世保市)の約7倍に上る。華やかな光の演出で夢の王国を支える電力は、ディズニーランドの魅力の源泉。長期間の節電を迫られれば、集客にも影響を及ぼしかねない。加賀見は「電力不足の解消には数年かかる」と判断。国内大手メーカー幹部と直接交渉に乗り出し、いち早く都市ガスを使う出力5000キロワットの自家発電装置3基を確保した。投資額は30億円規模に膨らむが、ここは生命線と踏んだ。
電力とともに、正常化に欠かせないもう1つのカギがTDLが立地する浦安市の復旧だ。顧客や従業員が集中する地域でもある。
「どんな支援が必要ですか」。埋め立て地が大半を占める浦安市では、震災によって市の面積の4分の3で液状化現象が起きた。下水道やガスの復旧に時間がかかるなか、市役所に隣接する災害対策本部には加賀見や上西ら経営陣が毎週のように顔を見せた。「キャスト」と呼ぶ施設のアルバイト従業員などを業務のサポートとしてのべ1000人近くを派遣し、道路にたまった泥の排除などを手伝いながら復旧状況を見極め続けた。
■待ち時間は15分以下
震災後、想定しうる限りの手を打ったオリエンタルランドの経営陣。だが震災の影響は読み切れなかった。
TDLが営業を再開した4月15日。午前8時の開園前から1万人の熱狂的なファンが詰めかけた。だが1日の入園者数は1万7000人どまり。例年、4月中旬の平日のTDLには2万~3万人が入園しているとみられるが、再開初日はこれを下回った。午前中は「プーさんのハニーハント」などの人気アトラクションも含め、大半の待ち時間は15分以下。復活祭をテーマにした人気のパレードも場所を選ばなければ、ほとんどの入園者が最前列で楽しめる状態だった。首脳の1人は「客足が読める状況になく、再開することが大事」としながらも期待を込めて4万人の入園を見込んでいたが、再出発初日の入園者はその半分以下にとどまった。
試練は重なる。オリエンタルランドは23日からの入園料引き上げを決めていた。これまで価格引き上げと並行して施設の価値を高めることで成長を続けてきたオリエンタルランド。83年のTDL開業時の大人の「1デーパスポート」は3900円だったが、23日からは8度目の入園料引き上げで6200円に引き上げられた。
08年秋のリーマン・ショック後に直営ホテルの稼働率が下がった際には、経営陣の過半数から「値下げすべきだ」との意見が出された。これに対し、加賀見は「価格はサービスに応じたもので、一度値下げすれば再び上げることは難しい」と強く反対した。
だが原発事故や余震の影響がいつまで続くか分からない。経験したことのない34日間の休園、節電による足かせがはめられた中での値上げ。しかも原発事故の影響で海外からの入園者急減は避けられない情勢だ。同社は23日からのTDLの営業時間拡大、28日からのTDSの再開と矢継ぎ早に手を打つが、もはや経営のかじ取りは未体験ゾーンに突入している。
様々な不安を抱える加賀見にはもう1つ、世代交代という大きな宿題が待ち受ける。オリエンタルランドの取締役は社外を除き11人だが、社長の上西ら7人はTDLが着工した80年以降の入社。米ウォルト社とのライセンス契約を取り付け、TDLの立地確保に奔走した経験を知る者は少数派になった。
■「海超える想像力で臨め」
「なるべく自分は表舞台に立たないようにする」。加賀見は最近、こんな言葉をよく口にする。DNAを受け継ぐ難しさは痛いほど分かっている。これまで入園者数のベースアップを続けてきたが、12年3月期は4月の休園だけでも100万~200万人減の影響が出るとみられる。入園者数の大幅減は避けられず、TDL誕生以来の危機になることは間違いない。創業のDNAを生かし、現状を維持するのではなく、新しい成長力をつくれるか。
「ここに新たな何かを創るときは、海を超えるような想像力をもって臨め」。TDL生みの親、高橋の言葉が加賀見らに再び突きつけられている。
=敬称略
(工藤正晃、中村直文)
東日本大震災、鳴らされていた警鐘(日経Web)の写し [東日本大震災]
日経サイエンス編集長 中島林彦
3月11日、東日本大震災が発生、仙台平野の田園地帯を突き進む大津波の映像が伝えられたとき、地震学者の多くは予想外の事態に絶句した。その一方、「とうとう来てしまったか」と苦い思いを噛みしめながら見ていた研究者もいた。
1100年以上前、平安時代前期の貞観11年(西暦869年)に「貞観地震」と呼ばれる大地震が発生、大津波が三陸沿岸から東北地方南部沿岸に押し寄せた。その事実が東北大学や産業技術総合研究所(産総研)活断層・地震研究センター、大阪市立大学などによる地質調査でわかってきた。産総研は調査結果を踏まえたシミュレーション研究で、津波が平野部で3~4キロメートルも内陸まで押し寄せたことを明らかにした。津波を生み出した地震の大きさはマグニチュード(M)8.4以上と推定された。
これまで西日本については南海地震や東南海地震などの大地震が繰り返し起き、大津波が太平洋岸を襲ったことはよく知られていた。だが、東日本で、それらに相当する規模の地震と津波が起きていたことは地震学者の間においても共通認識にはなっていなかった。産総研による東北の太平洋沿岸各地の地質調査では、貞観津波を含め古墳時代(400年頃)から室町時代(1500年頃)にかけて少なくとも4回、かなりの規模の津波が起きていたことも判明した。
そうしたことから産総研の研究グループは、東北から関東にかけての沿岸を500~1000年の間隔で大津波が襲っていること、その周期性から考えれば、近い将来、同様の大地震と大津波が再来する恐れがあることを数年前から論文や学会で発表していた。東北大や大阪市立大の研究者も近い将来の大津波の再来に警鐘を鳴らしていた。政府の地震調査研究推進本部も4月、国が防災対策を立てるための基礎データである「地震活動の長期評価」に貞観地震の研究結果を反映する予定で、宮城県や福島県などへの連絡を進めていた。
もし国が動き始めたら、数年後には東日本で起きる大地震について認識が変わっただろう。しかし大地震は待ってくれなかった。
大津波が招いた東京電力福島第1原子力発電所の事故は原発事故の深刻度を表す国際評価で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じレベル7となった。大地震が起きる前の段階における、原発の耐震対策にかかわる政府や東電の発言や対応を振り返ると、「危機への想像力の乏しさ」があったことが浮かび上がる。約2年前、福島第1原発の耐震性が再検討された際、大津波が近い将来やってくる恐れが指摘された。だが、特段の対策はとられなかった。
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なんだかこういう記事を読んでも、今一つピンとこないです。というのが最初の印象。事前の準備、起こってしまったこととその対策ということについて、結果として、何もできていなかったということ。虚しい。
震災後に「買いだめした」16% 消費者の不安減らす工夫を(日経Web)の写し [東日本大震災]
2011/4/18付 日本経済新聞 朝刊
東日本大震災の発生後、首都圏のスーパーやコンビニから水や乾電池、カップ麺などが姿を消した。消費者の買いだめが原因とされる。だが今回の調査で、何らかの物を買いだめしたと答えた人は16%。決して多数派ではない。
最近の流通業はなるべく在庫を持たない。工場が休止し物流が途絶えたところへ、物資を被災地に優先的に回したため、店頭ではたちまち品薄に。そこへ停電に備えた「まとめ買い」が重なった。情報はネットなどで全国に広がり、中部、近畿地方でも買いだめした人が1割を超す。
被災地を別にすれば、今やコメも麺もトイレ用品もあふれている。水がやや品薄な程度だ。それでは、もう今回のような騒動の再来はないか。そうとも言い切れない。
買いだめした人の約8割が「後悔している商品はない」と回答。買いだめをした理由の2位は「どうせ、いずれ使う(食べる)」。衝動的というより合理性を感じさせる。
回答者全体でも3割が買いだめ自体を「仕方ない」「何とも思わない」とみる。次の災害時に買いだめを「する」派と「しない」派は半々だ。
人々がいたずらに不安に陥らない方法はないだろうか。一つは情報提供だ。今回の品不足の原因として、3人に1人が政府などの情報発信不足を挙げた。生産や出荷の見通しが分かれば、やりくりしやすいし、余計な買い物も減る。店先で店員が「コメの入荷のメドはたっておりません」と声をからしているだけでは恐怖心をあおる。
もう一つは価格だ。政府は「便乗値上げ」防止に力を入れたが、発想を転換し、被災地以外の店は商品が出回るまである程度値上げしたら、との声も聞かれた。備蓄や転売目的の買い占めを防げ、本当に必要な人は多少の出費を伴うが入手できる。コストをかけて緊急輸入する業者も現れる。日ごろの備蓄も促す。
ネットオークションでは乾電池や水が高値で取引され、行列に並べない家庭に感謝されていた。非常時に、必要な物が必要な人に行き渡るにはどうすればよいか。皆で考えるべき問題だ。
(編集委員 石鍋仁美)
調査方法 マイボイスコムを通じ、4月8~11日に20歳以上の千人にインターネットで実施した。
東京では、年齢、性別に関係なく、自分だけよければという行動を起こしている人が多すぎます。教育とか考え方の問題だと思います。関西だけでなく、九州までも、品薄。水は今でもです。よ~~く考えてみよう。