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東日本大震災、鳴らされていた警鐘(日経Web)の写し [東日本大震災]

日経サイエンス編集長 中島林彦

 3月11日、東日本大震災が発生、仙台平野の田園地帯を突き進む大津波の映像が伝えられたとき、地震学者の多くは予想外の事態に絶句した。その一方、「とうとう来てしまったか」と苦い思いを噛みしめながら見ていた研究者もいた

 1100年以上前、平安時代前期の貞観11年(西暦869年)に「貞観地震」と呼ばれる大地震が発生、大津波が三陸沿岸から東北地方南部沿岸に押し寄せた。その事実が東北大学産業技術総合研究所(産総研)活断層・地震研究センター大阪市立大学などによる地質調査でわかってきた。産総研は調査結果を踏まえたシミュレーション研究で、津波が平野部で3~4キロメートルも内陸まで押し寄せたことを明らかにした。津波を生み出した地震の大きさはマグニチュード(M)8.4以上と推定された。

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 これまで西日本については南海地震や東南海地震などの大地震が繰り返し起き、大津波が太平洋岸を襲ったことはよく知られていた。だが、東日本で、それらに相当する規模の地震と津波が起きていたことは地震学者の間においても共通認識にはなっていなかった。産総研による東北の太平洋沿岸各地の地質調査では、貞観津波を含め古墳時代(400年頃)から室町時代(1500年頃)にかけて少なくとも4回、かなりの規模の津波が起きていたことも判明した。

 そうしたことから産総研の研究グループは、東北から関東にかけての沿岸を500~1000年の間隔で大津波が襲っていること、その周期性から考えれば、近い将来、同様の大地震と大津波が再来する恐れがあることを数年前から論文や学会で発表していた。東北大や大阪市立大の研究者も近い将来の大津波の再来に警鐘を鳴らしていた。政府の地震調査研究推進本部も4月、国が防災対策を立てるための基礎データである「地震活動の長期評価」に貞観地震の研究結果を反映する予定で、宮城県や福島県などへの連絡を進めていた。

 もし国が動き始めたら、数年後には東日本で起きる大地震について認識が変わっただろう。しかし大地震は待ってくれなかった。

 大津波が招いた東京電力福島第1原子力発電所の事故は原発事故の深刻度を表す国際評価で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じレベル7となった。大地震が起きる前の段階における、原発の耐震対策にかかわる政府や東電の発言や対応を振り返ると「危機への想像力の乏しさ」があったことが浮かび上がる。約2年前、福島第1原発の耐震性が再検討された際、大津波が近い将来やってくる恐れが指摘された。だが、特段の対策はとられなかった。

  • 日経サイエンスのホームページ

  • なんだかこういう記事を読んでも、今一つピンとこないです。というのが最初の印象。事前の準備、起こってしまったこととその対策ということについて、結果として、何もできていなかったということ。虚しい。


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