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西から東へ建機1000台 復興への道、現場が先導(日経Web)の写し [東日本大震災]

東日本大震災 立ち向かう企業(上)

2011/4/7 11:20の記事です。(記事が前後しました。)

 ブルドーザーや油圧ショベルなど建設機械約1000台の大移動が始まった。目指すのは東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島、茨城の4県。コマツが震災直後から関西で中古品をかき集め、幹線道路の開通に備えていた。

利益より支援

 建機は自治体に貸し出され、がれきの撤去や道路整備にフル稼働する。燃料の軽油や輸送用のガソリンを確保するためコマツタンクローリー車も動員。確実に作業ができる環境づくりを全力で支える。

 収益が見込める仕事ではない。社長の野路国夫(64)は「こういうときはもうかる、もうからないじゃない。支援は売り上げや利益に優先する」と言い切る。

 従業員、顧客、株主、社会……。様々な利害関係者が企業を取り巻く。何を優先するか。危機の中、決めるのは本社とは限らない。

 3月15日朝、緊急物資が集まる岩手県宮古市の公共施設に1台のトラックが横付けされた。「運ばせてください」。ヤマト運輸の配達員、太田裕治(48)は市の職員に頭を下げた。

 震災で宅配便業務は止まった。聞こえてくるのは物資が避難所に行き届かないという声。職員がワゴン車で運んでいたが、プロの目からは「同じ所に重複して持っていくなど改善点が多かった」。同僚と「手伝おう」と話がまとまったものの本社と連絡が取れない。見切り発車を決めた。

 宅配便の配達先だった顔見知りに避難所で出会うと「生きてましたか。良かった」と抱き合う。太田の両親は無事だったが、その自宅は津波で流された。外から届く物資が「孤立させない」というメッセージになると太田は信じる。

 現場の動きを本社は追認した。トラック200台と人員500人を送り、取り組みをほかの被災地に拡大。料金をどうするかは「これから相談する」。細部を詰める前に走り出した。

 3月24日夕、日本コカ・コーラ政策渉外グループ部長の大能弘子(53)は農林水産省幹部に電話で訴えていた。「消費者に不安を感じさせたくないんです

 震災とその後の放射線問題でミネラルウオーターの品薄が続く。同社主力の山梨県の工場は計画停電の影響で量の確保が難しい。輸入品は原産国や殺菌の有無などを日本語表記する規制があり、ラベルの印刷が間に合わない。

 大能の熱意は農水省、消費者庁の担当者による協議に発展。業界団体を通さない異例の「現場陳情」は翌日、表示規制の一時緩和として実を結んだ。同社は韓国から100万ケースを緊急輸入。ハングル表記の水が間もなく店頭に並ぶ。

人的資本に強み

 

 「しっかり訓練・教育され、勤勉で献身的な労働力があった」。米シカゴ大教授のゲーリー・ベッカー(80)は日本の戦後復興の背景に卓越した「人的資本」の存在を見た。その厚みは今も企業の現場に根付き、被災工場を動かす。

 3月29日、福島県相馬市の郊外でIHIの航空機エンジン部品工場が操業を一部再開した。従業員1567人全員の安否を本社が確認したのは震災翌日の12日朝。この日深夜に現地入りした支援部隊は照明が床に散乱し、壁に亀裂が入った惨状に言葉を失った。

 米ボーイング商用機部門トップのジム・アルボー(60)は米テレビ局の取材で部品供給停止の長期化に懸念を表明。相馬工場が世界の航空機生産の一翼を担ってきたとはいえ、復旧に手間取れば取引を見直される恐れは否定できない。

 バス会社に頼み込み、都内の工場と相馬を結ぶシャトル便を開設。食料や非常用電源、工具類そして人員を毎日送り込んだ。社長の釜和明(62)は「逆境に耐えるエネルギーが現場にあった」と指摘する。

 復旧状況の発信に航空機各社から「できる限りの手助けをする」と返事が届く。現場のスピードが世界を驚かせ、「日本外し」を思いとどまらせた。震災があぶり出した日本企業の強さ一つだ。(敬称略)

 


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