SSブログ

ただちに影響なしと言われても… 放射線と健康、正しく知る(日経Web)の写し [東日本大震災]

低い線量での発がんは確証なく

2011/4/2 22:02の記事です。

96958A9C93819595E2E0E2E2868DE2E0E2E6E0E2E3E39FE3E2E6E2E2-DSXBZO2605004002042011I00001-PB1-23.jpg

 

 放射線の健康への影響を理解するのはなかなか難しい。2つのタイプの影響が混在するため、わかりにくい。一定量以上浴びたら必ず身体に症状が出る「確定的な影響」と、何十年もの間にがんになるかもしれない「確率的な影響」を、切り分けて考えなければならない。

■1万ミリシーベルトなら死亡

 「ただちに健康に影響が出る数値ではないが、できれば控えたほうがよい」――。東京電力福島第1原子力発電所の事故後、野菜や牛乳、水道水から放射性物質が検出されるたびに聞く。枝野幸男官房長官も記者会見でよく口にする。一見、安心できるようで、そうでもない。「ただち」という言葉がくせもの。うがった見方をすれば、将来は大丈夫なのかという不安もわいてくる。

 放射線被曝(ひばく)の影響の一つである「確定的影響」は、一度に高い線量の放射線を浴びた場合に起きる。放射線量がある値(しきい値)を超えると、急性か、もしくは少し時間がたってから、確実に健康を害す。

 例えば、全身に500ミリシーベルト浴びると、血液中のリンパ球が一時的に減る。1000ミリシーベルト(1シーベルト)以上だと、脱力感などの自覚症状が出始める。

 7000~1万ミリシーベルトで中枢神経などがやられて、死亡する。1999年に起きた茨城県東海村のJCO臨界事故で亡くなった作業員はこのレベルを浴びた。1000ミリシーベルトを超えると確定的影響が問題になる。

 一方の「確率的影響」は、被曝後、数年~数十年をかけて出るもので、大勢の人が放射線を浴びるとき一定の割合の人にがんなどを発症することをさす。

原発から離れた場所に住む人にとって問題になるのは、比較的少ない放射線を受けたときに生ずる、この確率的影響だ。

 体の外から受ける放射線量が累積で10~50ミリシーベルトになりそうだと屋内退避、50ミリシーベルトを超えると予測されると、その地域にいる人に避難が指示される。

 確率的影響も200ミリシーベルトより低い線量では発がんリスクが上がる証拠はない。「広島、長崎の被爆者でも(確率的影響による)発がんリスクの増加はない」(国立がん研究センターの祖父江友孝部長)

 100ミリシーベルト以下になると喫煙など他の要因によるリスクと見分けが付かなくなる。

 放射線を使う技師や医師、原子力発電所職員らは通常1年で最大50ミリシーベルト(5年間平均で20ミリシーベルト)まで放射線を受けても問題ないとされる

 この規制値は、急性で影響がでてくる1000ミリシーベルトまでには20倍、確率的な発がんリスクと比較しても2倍以上の余裕がとってある。

■平時も年1.5ミリシーベルト

 一般人の被曝の限度は、さらに安全をみて年間1ミリシーベルト(自然放射線量を除く)。医師らは、放射線について知り線量計などで被曝を常に把握し管理している。無防備な一般の人はより低い水準にとどめる。

 年間1ミリシーベルトは、急性の症状が出る千分の1以下。長期の発がんリスクが高まるかどうかを検証できないほどの水準だ。

 理論上は、年間1ミリシーベルトを生まれたときから80歳までずっと浴び続けても、がんの発症リスクの上昇は0.5%以下と見積もられている。

 実際には、放射線は日常的に宇宙から降り注ぎ、岩石に含まれる放射性物質からも出ている。日本人は平均年間1.5ミリシーベルトを浴びている。

 規制値はそれを超えればすぐに危険という「安全と危険を区切る境界線」ではない。安全に十分な余裕がとってある。

 にもかかわらず「ただちに」発言が出てくる背景には、低線量の放射線が人体に与える影響が確率的であるからだ。確率はどんなに低くても、全くないとはいえず、念のため「あると仮定して備える」という放射線防護のリスク管理の考え方が隠れている。


う~~ん。まだ、これだけでは、よくわからん。現時点での海洋汚染についても非常に心配であるし、もう少しわかりやすい表現はないのだろうか?


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。